私達は日常生活の中で、「良い」「悪い」の判断をしています。
それは誰の目線からの基準なのでしょうか?
自分自身ですか?社会的なものです、家族ですか、友達ですか?
外側からの基準が、自分自身に負担をかけてしまう事がありませんか?
相対的な判断から離れて、自分の心の声を聴く事は自己理解にも繋がります。
感情をなかった事にしてしまうと、どんどん鈍感になってしまいます。
それは、ヨガで行っている潜在意意識から必要のない物を取り除いて行く事に 相反する事です。
(アクセルを踏みながらブレーキを踏むような感じ)
どんな感情も判断せずに、その感情がなんで湧き出てきたのか?
「問いに、問いを、問う」ことの大切さを感じています。
Shirikaliヨガでは身体を使って必要のない物を手放して行きます。
0コメント